ヒトを生んだ者たち~類人猿2500万年の進化
京都大学霊長類研究所/形態進化分野
國松 豊
類人猿はヒトの最も近い仲間であって分類学上はともにヒト上科(Hominoidea)をつくる。
しかし、彼らは今日の世界では繁栄したグループであるとは言い難い。現生類人猿として
は,アフリカにゴリラ(Gorilla gorilla),チンパンジー(Pan troglodytes),ボノボ(Pan
paniscus)の3種,アジアにオランウータン(Pongo pygmaeus)と小型類人猿であるテナガザ
ル類(Hylobates spp.)が約10種棲息しているにすぎない。最近では,大型類人猿各種で,
これまで亜種として扱われていた地域集団間でも遺伝的なちがいが非常に大きい場合が
あることがわかってきたため,従来の亜種を種のレベルに格上げする場合もある。とはい
え,種数の増加はわずかである。これに対して,現在のアフリカやアジアで多くの種に分
化し,棲息域も広いのはオナガザル科(ニホンザルなど、いわゆる旧世界ザルの仲間)で
ある。この仲間は大きくオナガザル亜科とコロブス亜科に分かれるが,どちらの亜科もアフ
リカとアジアにまたがって分布している。
しかし,時代をさかのぼると,中新世においては、類人猿は現在よりもずっと広い範囲で
繁栄していた。最古の類人猿とおぼしき化石は東アフリカ(現在のケニヤ北部にあるロシド
クという産地)の漸新世(2500万年前)の地層から見つかっている。その後、中新世に入る
と、プロコンスルやアフロピテクス、ナチョラピテクス、ケニヤピテクスなど、類人猿がたくさ
ん現れる。といっても、アフリカ(アラビア半島を含む)における類人猿化石の発見は、いま
はまだ、その大部分がケニヤを中心とした東アフリカに集中しており、アフリカの他の地域
からはほとんど見つかっていない。ただ、少数とはいっても、サウジアラビアや南アフリカ
から見つかった化石から、類人猿は中新世前期の1800万年前頃までにはアラビア半島か
らアフリカ南端まで広く分布していたことがわかる。
アフリカ大陸は何千万年ものあいだ比較的孤立した陸塊だったが、この頃になるとユー
國松(2)
ラシア大陸とのあいだに陸橋が形成され、陸生動物の移動が容易になった。類人猿の仲
間もアフリカからユーラシアに進出した。ユーラシア最古の類人猿化石はヨーロッパから見
つかっており、だいたい1700万~1600万年前の大臼歯のかけらである。中新世中期から
後期(1300万~700万年前)には類人猿はヨーロッパや南アジア,中国などユーラシア各
地に棲息域を広げていた。ヨーロッパのドリオピテクス、インド・パキスタンのシヴァピテクス、
中国のルーフォンピテクスなどが代表的なものである。逆に、アフリカではこの時代やそれ
以降の類人猿の化石はほとんど見つかっていない。ユーラシアでも、中新世後期もなか
ばを過ぎると,類人猿の化石は非常に少なくなる。ヨーロッパでは1000万年前をやや過ぎ
たあたりで、類人猿相が衰退した。インド亜大陸の北部でも、700万年前頃を境に類人猿
が化石記録から消えていった。これらは、ヒマラヤ・チベット高原の隆起活動などによって
世界的な気候の変動が起き、類人猿の棲息に適した環境が縮小したためだと考えられる。
これ以降、鮮新世に至ってはいまのところ類人猿化石は皆無に等しい。更新世になると,
中国南部や東南アジアでオランウータンやテナガザルの化石が若干出土しているが,ア
フリカのゴリラやチンパンジーに直接つながるはっきりした化石は何も見つかっていない。
かわって各地でオナガザル科の霊長類(旧世界ザル)が台頭し、現在のようにアフリカとア
ジアで多様化を遂げた。
グループ全体としては凋落傾向にあったヒト上科であるが、数万年前、ヒト上科のなかで
著しく特殊化した系統の末裔がアフリカを後にして全世界に拡散をはじめた。Homo
sapiens—つまりわれわれ現代人の直接の祖先である。彼らは、ユーラシア大陸はもとより、
オーストラリアや南北アメリカ大陸にも分布を広げ、人口を増やしていった。現在の世界人
口は60億人を超える。現存するヒト以外の全霊長類の個体数を合わせても、この何百分
の一にしか達しないだろう。ある意味、ヒト上科は空前の大繁栄を享受していると言えるか
もしれない(もっとも、このまま行けば、Homo sapiensが地球上に生存する唯一のヒト上科
動物になる日も遠くはないのかもしれないけれど)。
<もっと詳しく知りたい人のために>
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