6500万年前の隕石衝突による恐竜の絶滅以降、地上の制覇者は2メートル、200キロという大きさを持つ
ディアトリマという巨鳥であった。哺乳類の先祖たちは恐竜が寝静まった夜間に餌の確保を選んだ。夜間に餌を確保するため巨大化(夜に確保できる餌の量は少ない)や色覚を喪失する結果となった。鳥類が飛ぶエネルギーを巨大化に充てることができ短期間で巨大化が可能であったことに対し、当時の哺乳類は出遅れてしまい、ディアトリマが地上の支配者となった。
霊長類の祖先と現在考えられているのはプレシアダピス類という小動物だ。彼らは現生のねずみほどの大きさで、夜の活動していたようだ。しかしアジアから渡ってきたげっ歯類により絶滅の危機に追いやられた。それを切り抜けるためにプレシアダピス類のカルポレステス(「果実を食べる人」という意味」)という種が親指が他の指に向かって曲がっている手を獲得する。握力の獲得である。握力のある手足を使って、細い枝をつかんで枝先に移動し、枝先にある果実を食べることができるようになった。
霊長類のもう一つの特徴は二つに並んだ
眼窩を持っていることである。樹冠で木から木と飛び移る生活(果実が豊富で天敵が少ない)を可能にするには隣の木の枝までの距離を正確に測ることが必要となる。それには
立体視を可能にするために両目の視界が重なる必要がある。
そのためショショニアスという種は眼窩を正面にならべるという進化を辿った。
真猿類の眼窩は骨で囲まれたソケット上の窪みになっていて、頭蓋骨内部と仕切られている(眼窩後壁と呼ばれる)。
眼窩後壁が果たす役割は咀嚼筋の動きと眼球を分けるためにある。
眼窩後壁がないと咀嚼のたびに視界が揺れてしまうのだ。 また眼窩後壁を持つ真猿類の網膜には
フォベアと呼ばれる視細胞の集中する場所がある。
フォベアがあると光を感知する視細胞の密度が上がり風景はよくはっきりと見える。
せっかく
フォベアにより獲得した高い視力を守るためのシステムとして眼窩後壁は発達したのだ。
色覚は一度外敵から身を守るために夜の世界に生きる道を求めたために失われている。
原始的な霊長類や哺乳類のほとんどは
二色色覚(
青と緑の
視細胞)
三色色覚(プラス赤を見分ける視細胞)を獲得することによって
葉食を可能にした。
三食色覚があることにより(熱帯雨林における)
赤い若葉と緑の成長した葉を見分けることが可能になる
(若葉は消化も簡単で毒素も少ない)。
地球寒冷化によりアフリカには季節性が生まれ、乾季が発生した。
果実のない乾季に葉を食べる必要があったのである。
一方、目が正面に並ぶことで視野は狭くなる。
視野の狭さは天敵の危険を察知する能力が低下することを意味する。
ワシなど視力の高い動物から身を守るためにサルたちは
群れを形成することで協力して天敵を見張り、追い払う戦略を取った。
真猿集団の集団戦略の特徴は役割分担と個体識別にある。
利己的にそれぞれが自らの生存を図るだけの集まりから脱して、
共存共栄を図る仲間としての集団へと進化したのだ。
現生の真猿類には豊かな表情を持つという特徴がある。
真猿類を除いて、大半の動物にはほとんど表情がない。
真猿類の顔の筋肉は、口の周りや目の周りを中心に、非常に細かないくつもの筋肉が存在している。
原猿類の顔の筋肉は細かく分かれていない。
これにより可能となるのが表情によるコミュニケーションである。それが高い視力を持ったことにより可能となったのは言うまでもない。
表情により瞬時に複雑なコミュニケーションが可能となったことで群れの秩序が守られることになった。
群れの仲間とうまくやる、つまり社会のなかでうまく生きていくために進化したものが表情の豊かさであった。
群れの中でより意思疎通が取れている群れは協力や分業で生き残る可能性が高くなる。
ここで淘汰の基準が「共に生きる能力」におかれることとなった。
参考文献:「地球大進化 46億年・人類の旅 5 大陸大分裂」(NHK出版)
カトピテクス 学名(Catopithecus browni )
分類 哺乳類・霊長目・真猿亜目・プリオピテクス科
生息時代 第三紀中期
生息地域 北アフリカ(エジプト)
体長 cm
現在、霊長類には
キツネザルなどの「原猿類」とそこから
進化した「真猿類」と2つのグループに分けられますが
この「カトピテクス」はもっとも初期に現れた真猿類です。
真猿類の共通する特徴は眼窩の奥に「眼窩後壁」と呼ばれる
骨の壁があり、眼球を固定するソケットをつくりました。
現在の真猿類の眼球には「フォベア」と呼ばれる視細胞の集まり
があり、視界の中心の視力が大幅に上がりました。
そのため、
視界の中心がぶれないために眼窩後壁で眼球を固定する必要が
あったといわれています。カトピテクスが現れた時代は寒冷化が進み、エサである果実が
なる森林が減少していきました。そのため視力を発達させて
食べ物を効率的に見つける必要があったと考えられています。
ヒトを含む88種の霊長類の目の形態を調査した結果、原猿、オマキザル上科(いわゆる新世界ザル)、オナガザル上科(旧世界ザル)、
ヒト上科(類人猿)の順に、目の形が「横長」になり、強膜(ヒトでいう白目の部分)の露出度が大きくなるようです。ヒトは、霊長類の中で最も目が横長で、強膜の露出の大きい種なのだそうです。(35810)
共認機能の進化に連動して眼が横長になる、強膜も露出し角膜運動が自由になる、という事実は興味深いと思いました。ただし、大型化と省エネルギーから眼球運動に移行したという見解と、白目の機能についてはまだ確信できませんが。むしろ、知能発達と大型化が相関していると考えたほうが整合するのではないかと思っています。
まず、霊長類の視覚機能の発達というのは、入力装置としての眼の機能の発達をはるかにしのぐ脳の統合機能の進化に委ねられているということは、この会議室で何度も議論されているところです。そして、眼球移動だけで視界を自由に変えられると言うことは、短時間に入力される視覚情報量が途方も無く増えるという事だと思います。
例えば、人間の視野のうち、まともに焦点が合って見えているのはほんの一部だけです。しかし、眼球を動かしながら、例えば180度の部分写真をとり、歪んだもとデータを頭の中で補正しながら合成して、あたかも180度全体がはっきり見えているように解釈しています。(19975 )
このように、脳の統合機能の発達(≒知能の発達)がなければ眼球移動がもたらす短時間での視覚情報量の増大も無意味になってしまいます。だから、知能の発達と眼が横長になる進化は連動しているのだと思います。
次に、共認機能の発達と
眼が横長になる進化の関係は親和共認レベルから闘争共認レベルへの移行と大きく関係していると思います。共認機能と相手とのコミュニケーションとの関係を考えるとき、相手の表情の把握は一つの要素になります。しかし、それは原猿の親和共認のレベルであり、対面若しくは近くに居る仲間を捉えるために、多少の眼球移動が必要という段階だと思います。
>同類の表情を読みとるためには、単なる視覚情報を感覚情報として受け入れるだけでなく、視覚をまかなう脳回路を親和物質や充足物質へと、新たに組み直したのではと思います。
危機逃避回路にはもともと接続されていたのでしょうが、この段階で視覚を中心とした
感覚機能と親和充足系の脳回路とが接続され、人類へと至っているのでは?と思います。 (34964村上さん)
このよう原猿段階では眼球移動より、視覚情報を処理する脳回路を親和物質や充足物質ともつなげる方が重要だったと思います。現に
原猿段階の眼の横長度(=眼球移動の容易性)はあまり高くありません。その後、知能の発達が進みますが、真猿以降で特に顕著になります。それと並行して眼が横長になる進化も顕著になります。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=37379